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ソウル会戦 (第一次) : ウィキペディア日本語版 | ソウル会戦 (第一次)[そうるかいせん]
ソウル会戦 (第一次)は、朝鮮戦争の勃発直後の国境会戦に連続して、1950年6月26日から6月28日にかけて、国境沿いから東西沿岸、中部地域、ソウル特別市周辺までの広い地域を戦場として、大韓民国(以下韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の間で行われた戦闘である。 == 戦闘に到る経緯 == 1950年6月25日早朝、北朝鮮軍は韓国との国境線(北緯38度線)の全線に渡って越境し、攻撃を開始した。北朝鮮の作戦構想は、ソウルの陥落によって韓国軍は崩壊し、事実上勝敗を決するであろうという前提に基づいていた〔萩原(1997)。〕。この前提のもと、北朝鮮軍は部隊を2つの軍団に編成し、第1軍団を主攻としてソウルに対して求心的な攻撃を実施し、第2軍団は助攻としてこれを援護するように指導した。韓国はこの攻勢を予期しておらず、一部の部隊が独自の判断で警戒態勢を取っていたのみであったため、北朝鮮は、ほぼ完全な奇襲を達成した〔陸戦史研究普及会(1970)。〕。 北朝鮮軍は兵力・装備・錬度のいずれにおいても、韓国軍と比して相当に優越していた。特に戦車については、韓国軍に有効な対戦車火器が欠けていたこともあり、韓国兵に根強い恐怖心を抱かせるまでに至り、このため、戦線の全域で、北朝鮮軍優位に戦況は推移した。しかし、北朝鮮の予期とは異なり、韓国兵の戦意は極めて旺盛で〔、肉薄攻撃によって戦車が撃破される例も多々見られた〔。また、前方防御部隊の多くは、河川障害や錯雑地形を活用して巧みな防御戦を展開しており、これらの障害に欠けていた議政府正面を除いて、韓国軍の防御線は決定的な破綻を来たすには到らなかった。しかし議政府正面においては、機甲部隊の衝撃力を利用した北朝鮮軍の攻勢により、議政府市の防御は危険な状態に陥りつつあった。
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